【おすすめ】人の意見を聞けなくなった時、読んで欲しい

心について

ごきげんよう、
横山明日香です^^

今日はフラットボタン-green

タイトル重めですが、
日本人が持つ、「間」の文化についてお話をしようと思います。

実は今日、速読教室へ行ってきたんですが、
そこで、
「日本語の表現は曖昧で、抽象的」
というような話題が上がったんですね。
(だから良い・悪いといったお話しではなかったです☆)

「そうか、、そんな風に感じている方もいるのね」

なんて思いつつ、
今日はこのことをブログに書こう♪
と思ったわけです。

「間」と暮らしてきた日本人

ざっと、2000年ほど前の先人たちから、
1つ1つ積み重ねられてきた、
私たち日本人の「暮らし」の中には、
たくさんの「間」があることは感じているでしょうか。

例えば家屋。

床下、天井裏、土間に居間、
床間や欄間などがありますよね。

空気が通りやすく、
家も人も、息がしやすい家屋です。

床間のある部屋は、
客人をおもてなしする際の最上の部屋なんですが、

中でも床間の装飾は、
もてなす側の見えない心配りを、粋に表現する空間です。

知的な大人の、
センスあるコミュニケーションと言えると思います。

掛け軸や書、壺や草花をつかい、
とんちを効かせてみたり。

小さなスペースの中に、
春夏秋冬を表し、おもてなしの心を見せたのです。
(美しいですね)

また、言葉においても
たくさんの「間」があります。

時間や空間、週間に仲間、手間に間合い

「先人たちには、『間』が見えていたのではないか!?」

と思うほど、絶妙な表現力で漢字を当てていますよね。
(実際、古い文献から紐解くと、
「素粒子レベルが見えていたのでは!?」説あるんですよ!)

言葉の力は本当にすごくて、いわゆる「言霊」ですから、
日本語を話すと、自然にあらゆる「間」を
感じ、見え、聞こえるようになってしまうんですね。

ですから日本語は、「間」も含めて伝え、
表現している、大変芸術的な言語なんです。

この、日本人特有の
「知的さ」や「美的センス」が、「間」であり、
言葉にも現れてしまうわけですなんですが、
そこが海外の方からすると「抽象的」、
「曖昧」と捉えられるのかなぁと思います。

日本人はテレパシーが使えるの?!

海外の方にもファンが多い、黒沢映画ですが。

昔ながらの日本映画は、
現代映画なんて比にならないほど、
「間」で表現されまくりです。

例えば、流れものの侍が、二言三言、
ボソボソっと話したあと、沈黙する。

ほとんど言葉にしていないのに、
背景や、言葉の行間から、
なぜか男が抱える心情や情緒が伝わってくる。

こんな感覚、イメージできてしまいませんか。

これなんですよ。

ハリウッド映画のように間髪入れずに、
全て言います、みせます!
という表現とは真逆ですよね。

これと同様のことですが、
こんなこともイメージできてしまいませんか。

掛け軸などに描かれた竹林。
数本の竹を描き、あとは空間。
ですが、見えない竹林が見える。

「間」の中に、描いていないものを見せる技術です。

私たち日本人は、日頃から「間」から感じとり、
読み解くことを当たり前に行っているので
気づかないんでしょうけど、
これってとんでもなくすごいことですよね!

ですから、江戸の頃に訪れた西洋人は皆、
「間」から多くを理解できてしまう日本人を見て、
不思議で不思議で、

「日本人はテレパシーを使えるのか??」

なんて思ったほどだったんですよ笑

確実に減っている、「間」の文化

いかがでしょう。
日本人の暮らしや文化の中にある
たくさんの「間」を思い出していただけましたか。

「間」には、美しさも、慈しむ心も、
四季も愛も込めているんですよね。

そういったものに触れたり、表現する側になることで、
「心の配り方」や、「想像する力」、
「美的センス」に「知性」までもが磨かれていったわけです。

ですが、こうして先人たちの暮らしをイメージすると、
現代の私たちの暮らしからは、
多くの「間」が消えてしまったことに気がつきませんか。

時間、空間、仲間、床間、土間、欄間に手間。

ドッキリしてしまいますよね。

家屋も言葉もどんどん西洋化し、
効率的で無駄のないマンションと、暮らし。

私たち人間は、暮らしから「間」を無くした時、
それは、私たち自身の中にも同じ現象が起きるんです。

つまり、私たちの中から

間が消え、ゆとりが消え、
他人を受け入れる隙間がなくなってしまうんです。

「自分と違う考えを、受け入れられない」

「自分と違う趣味嗜好を持つ人を、排除するようになってしまう」

そ子はとても悲しいことです。

ですからね。
私は思うんですよ。

現代社会では、
「言語化、言語化」と言われますけど、

もちろん、必要な場面では
言葉にすることは大切です。

ですが、言語化できないと言いますか、
敢えて「しない」ことというのも、
それはそれで、情緒があっていいんじゃないのかなって。

そういう暮らしの中で、
察したり、洞察したり、心を配る能力が
磨かれていくんでしょうから。

最近は、
「グローバル、グローバル」
って言われていますけど、

それは本当に、日本人の性質や文化に、
合っているんでしょうか。

私は、『グローカル』でいいじゃないかなって思うんですよ。
(おあとがよろしい笑)

今日は長くなりました(汗)
それではまた次回^^

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